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「画家が歩いたベルギーの古都」展
旅から生まれるもの-異国の古都へ
美術評論家
財団法人 美術文化振興協会理事長
武田 厚
洋画、日本画それぞれの分野で活躍する4人のベテラン画家が一昨年の秋にベルギーの古都を訪ねる旅に出た。日程を見ると、短い旅ではあったがブリュッセルとゲントを基点に他にいくつかの古都にも立ち寄っている。年齢問わず、旅は普段と違った集中力で全神経と全感覚がフル回転することが多いので、おそらく充実した時間を費やすことができたであろうことが想像できる。
ところで主催者側の一員として旅のきっかけが何であったのかをあらためて記すと、これは財団法人美術文化振興協会の企画によるものであって、各分野の作家活動支援事業の一環として計画されたものである。周知の方もおいでと思うが、これまで宮本三郎記念賞による作家顕彰やハーバード大学における日本伝統文化特別授業のための講師派遣など国内外において有意義な活動を続けてきた団体である。
この度の事業では、ベルギー派遣の4名の作家の内、奥谷博は、当時当財団の理事に就いていたが、滝沢具幸・大津英敏及び関出の3名はまだ外部の者であった。彼等は財団評議委員から財団に推薦され、参加を呼びかけられて趣意に賛同し、同行することとなったが、その後全員当財団の運営者側に名を連ねることになった。今回、派遣事業の成果を発表することになった本展では、その出品作家が結果的に当財団の理事の立場にある画家たちの組み合わせによる珍しいものとなったのは、そういった経緯があってのことである。ともあれ、第一線で活躍中の作家による異国の古都との触れ合いから生まれた競作には尽きない興味がある。
ところでこの4人の画家の作風について言えば、いずれも、いわゆる現地取材を常とする風景画家というタイプの人たちではない。仮にある種の風景を取材することがあっとしても、画家の人生に相当深く関わる必然性が背景にあってのことで、作風としてはイメージの合成や再構築、あるいは抽象化に傾斜するというのが通常である。それに比してこの度の旅は、そうした必然性につながる個々の縁も絆もなく、いわば初体験のような風景や風物との出会いを続けるものとなっていた。しかし、考えようによっては、それぞれの画家の意思とは無関係に選ばれた対象とはいえ、見合いのような形の異国の風景との出会いは、案外に画家たちの心を心地よく開かせ、思いのほか新鮮な感動を呼び起こすことになったかも知れない。まさに予期せぬ出来事に対する深々たる興味が画家たちの心中を賑わしていたのではなかったろうか、と私は推測している。
私事で恐縮だが、昨春私もたまたまベルギーの二、三の都市を回る機会があった。十数年振りに訪ねたことで懐かしさはあったが、それよりも、よくよく足で歩いてみると、意外な程どの街も風物も目に新鮮で、無心に感動していたことを思い出す。とりわけゲントとブルージュの街中の建造物にしばしば引き込まれることがあった。例えば階段状の切妻屋根が並ぶ建物群の正面を飾る鮮やかなデザインはおとぎの国のような楽しさがあってみていて飽きない。他方、突然壁のように眼前に聳え立つ無表情の建物群もある。大概暗褐色の石かレンガで覆われていて、その風貌は周囲とまったく打ち解けていない。窓も出入り口もよく見えず、人の気配も感じられない不気味なものだったが、しかし厳然とその場で仁王立ちをしているかのように見えて只々圧倒されたのであった。確かに木々の緑や空の青は日本と変わらないものであったかも知れないが、実際その建物の姿や色合い、あるいは佇まいというものがちょっと異なるだけで風景はまったく違った表情を見せることにあらためて気付かされるのであった。ゲントとブルージュの、私にとっての異様な建造物はその典型のようなもので、ヨーロッパ中世の、あるいはゴシック様式の建築であろうとなかろうと、日本人の感性では理解できない別世界の風景を形作っている、というのが素直に受けた衝撃的実感であった。
確かに異国の町を歩くということは、ただそれだけで日常的ではない別の世界に紛れ込んだ自分を体感することになる。その体感を通して土地の人々やその暮らし振りなどを想像するのも楽しいし、むろんその都市ごとの歴史や文化をちょっと頭の隅に入れとくだけで、目の前の風物が妙に生き生きして見えてくる経験は誰しも持っていることだろう。その時、陽射しに透けて美しい新緑の林を歩くときのように、目も耳も心持ちも清々として初心の状態にあることを我々は案外気づいていない。4人の画家も恐らくはそうした心的状況の中でベルギーの古都を歩き、率直に心に響く風物に足を止めたにちがいない。いつもとは違う自分の中にあらかじめ潜伏していた別の感性が動揺し始めることによって想像力を刺激し、画家の目と心がそれに無意識に反応し、それぞれに固有の別種の風景が誕生していくことになりはしないだろうか、と私は期待する。
ゲントとブリュージュの他には港町アントワープがある。アントワープといえばルーベンス・ハウスのあるルーベンスの町という印象が強いが、首都ブリュッセルと言えば、私の場合、マグリットよりもポール・デルヴォーのことが直ぐに思い出される。一風変わった別次元の絵画の巨匠たちがベルギーには少なくないのだが、デルボーもその代表格の一人で子供の頃から晩年までブリュッセルで暮らしている。ブリュッセルもアントワープも時間をかけて歩いてみると、それぞれいかにも古都に相応しい歴史と伝統に溢れて個性豊かな佇まいをしていることをあらためて知る。私がそのブリュッセルとデルヴォーを繋いでしまうのは、彼の作品にしばしば登場するギャルリ、つまり立派なアーケードつきのショッピング回廊がひどく印象に残っていたからである。
実はその彼に私は偶然会う機会を得た。1988年のことである。むろん仕事の関係者と一緒ではあったが、役目上私が直接デルボーにインタビューをすることになっていた。むろん仏語通訳つきである。彼は既に90歳となっていた。
ブリュッセルから電車で北へ向かって一時間余で港町オステンドに着く。オステンドは周知のようにジェームズ・アンソールが生涯過ごした町である。しかしデルヴォー晩年のゆかりの町でもあった。そのオステンドの近くのコクシッドにデルボー美術館がある。ポール・デルヴォーは自身お気に入りのレストランに一人でやってきた。我々はテーブルの横に立って彼を迎えた。デルヴォーは杖をついてゆっくりと歩いていたが、眼光鋭く、体躯頑強と分かった。光と闇、女と月、駅舎と明かり等についての質問にもいちいち答え、造形の秘密を淡々と語りながらいつの間にかフルコースの食事を見事に平らげた。それからストレート・グラスにウィスキーを注ぎ、グラスを手にして宙を見ながら独り言のようにこう言った。「例えば二人の女が描かれている。彼女たちにはそれぞれの人生がある。それぞれの人生は互いにかかわりあう必要はないのだ」。デルヴォーは白昼にイマジネーションを刺激し、深夜の闇に向かってそれを描く、と言った。このオステンドはこの度の4人の画家たちの訪問地には入っていなかったが、ベルギーと美術という観点で言えばやはり重要な町の一つである。
4人の画家たちが描いたベルギーの古都のほんの一部を写真でみることができた。ベルギーの古都を描きながらそれを素材としてそれぞれの心中にある思いを描いてる風でもあった。つまり自分化させた古都ということである。そこが興味深いところである。
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